南房総高次脳機能障害家族と支援者の会 なんぼーこーじの毎月更新の会報です
安房の国から2023 南房会ストック9月号
南房総高次脳機能障害家族と支援者の会

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今後の予定

・10月 1日(日) 高次脳機能障害友の会 全国大会

・10月15日(日)「きらりお楽しみ広場」フリーマーケット
           野島埼灯台周辺 午前10時~午後4時

・12月 1日(金) 桟橋朗読の会 発表会 沓見楽市座

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   「日本高次脳機能障害友の会 全国大会2023in東京」

 10月1日、東京は千代田区平河町にあるJA共済ビルカンファレンスホールにお
いて、午後1時より日本高次脳機能障害友の会全国大会が行われます。今回の大会
は、「高次脳機能障害支援法の制定に向かって」をテーマに、自民党障害児者部門
・厚生労働部門や公明党障害者部門、また、厚生労働省など多くの方々を迎えて、
シンポジウムが行われます。

 この高次脳機能障害支援法については、全国の家族会の念願であり毎年行われて
いる全国大会では、制定に向けての活動が話し合われてきました。今回は特に重要
な大会として多くの国会議員や行政に携わる皆さんを迎えて、国会議事堂の前で行
なわれ、私たちの声を直接届ける絶好の機会であり、なんとしても成功させなけれ
ばなりません。

 高次脳機能障害の歴史は本来は古いのですが、解明されたのは最近のことで特に
アメリカのベトナム戦争のころにクローズアップされたと記憶しています。負傷し
て帰ってきた兵士の家族が「何かおかしい、以前と人が変わった」という話があり
ます。そこで治療をしていく中で脳損傷の問題が出てきた。戦地の爆風で怪我をし
た。症状が記憶障害や異常な行動などで、そこでリハビリをする中で多少でも改善
が見られる。

 日本でも、脳梗塞・くも膜下出血あるいは交通事故や1995年の阪神淡路大震
災での家具の転倒や瓦礫による大けが、水害による低酸素脳症などがクローズアッ
プされ、2000年頃に一地域に家族会が発足、わずか23年後の現在では全国に
高次脳の家族会が出来、全国大会も行える組織に発展しています。また、当事者家
族を支える支援センターや病院などのリハビリセンターも以前よりもかなり充実し
ています。しかし、それは家族会がある地域にとどまっている。家族会のない地域
では高次脳機能障害を知らない地域もあり当事者家族の負担は大変で、この障害、
早期診断と適切な治療・適切なリハビリにより早期の社会復帰が出来ることが証明
されています。

 私たち全国の家族会は、この支援法の制定により、国に高次脳機能障害の専門部
所が置かれ地域の行政に高次脳支援部門が設置され、広く国の隅々に高次脳機能障
害が広まり、新たに高次脳機能障害になった方が、生活の不安の解消や治療に専念
できる環境を構築できるのではないかと考えています。その為にも高次脳機能障害
支援法の制定を早期に実現させなければなりません。多くの方のご支援とご協力を
重ねてお願い致します。

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   「スポーツの秋」

 暑い夏もそろそろと思えば、次に来るのは台風シーズン。全国の被害を考えると
南房総の台風15号の記憶もありますので不安にもなります。被害を最小限に抑え
る準備はよろしいでしょうか?なんて思いますが、同時に秋といえば読書の秋・食
欲の秋ですが、なかでもやはりスポーツの秋ですよね。

 アメリカの大リーグ・日本の野球・大相撲・サッカー、特に今年はワールドカップ
のラグビーですかね。「凄く頑張っている姿がいいんだよ、でもゴールなのにトライ
だって?ルールはよくわかんないけど」なんてよく聞きます。いいんですよ4年に1
度ですから見て楽しめればって思います。政治や経済はボロボロですが今後の日本の
お家芸はまさにスポーツですね。世界で活躍している日本人を見ると応援もしたくな
ります。

 先日のブダペスト2023世界陸上の女子やり投げの「北口榛花」。夜中でしたが
1投目はまあまあでしたが、2投目・3投目では外国の選手に抜かれ、最後の6投目、
槍を片手にバックの観客に向かって手拍子を要求、そのテンポに合わせ走り出し渾身
の1投。会場は静まり監督やスタッフが見守る中で槍はぐんぐん伸びて外国選手の記
録を抜きトップに、そのまま優勝の瞬間。怒涛の歓声と実況のアナウンサーの「やり
ました!」の叫び声、投げた北口選手は飛び上がって喜び観客のそばへ、

 会場は当然同時進行で他の競技も行われていますが突然の大歓声に「何が起きた!」
いやいや、たかがやり投げされどやり投げですかね、「なんだやり投げかー」と見て
いましたが、2023年ベースボールクラシックの大谷翔平選手最後の1投に匹敵す
る真剣勝負、これぞ生中継の醍醐味ですね。今年もスポーツ界大詰めですから、日本
人とは言わず世界の選手の真剣勝負期待したいですね。

「北口榛花」選手 おめでとう。そして感動をありがとうございました。

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   日本の障害者運動の祖「ヘレン・ケラー」 
   2023年度高次脳機能障害友の会全国大会記念 

   再送「奇跡の人」

 ヘレン・ケラーさんは1880年6月27日に米国南部・アラバマ州の小
さな町で生まれました。このころの日本は、明治13年で、西郷隆盛は明治
10年、西南戦争で亡くなっています。ヘレンの父親は南北戦争時に南軍の
陸軍大尉でした。南北戦争は1861年から1865年にかけて、アメリカ
合衆国の北部諸州とアメリカ連合国を称した南部諸州との間で行われた内戦
で、北軍が勝利しています。戦争に負けたとは言っても裕福な地主だったア
ーサー・ケラーは『ノース・アラバミアン』という新聞のオーナー編集長で、
妻ケイトとの間に生まれたのがヘレンでした。

 ヘレンが高熱に見舞われたのは1882年2歳の頃で。医師の治療で一命
はとりとめたものの、視力と聴力を失ってしまいます。高熱の原因は猩紅熱
(しょうこうねつ)でした。この猩紅熱は小児に多い発疹性伝染病で、日本
では明治年間に法定伝染病に指定され恐れられていた病気の一つでしたが、
抗生物質が開発された後には、容易に治療が可能となりました。

 ヘレンはまったく光と音が存在しない闇の中でも、知性のひらめきを見せ
5歳までに約60の身振りによる「言語」を持ちました。ケラー夫妻は娘を
多くの眼科医に診せましたが、視力は回復しないだろうという診断でした。
父親のアーサーはあきらめず、アレクサンダー・グラハム・ベル博士に会い、
友人を紹介されます。皆さんご存知のベルは電話の発明で有名ですが、1872
年にシカゴに聾(ろう)学校を設立しており、ベルはヘレンの父親にマイケ
ル・アナグノスを紹介します。アナグノスがヘレンのために選んだ教師が、
アン・サリバンでした。

 このアンも5歳の時に眼病にかかり失明し、その後母親が亡くなり、父親
がアンを養育できなかったことから、マサチューセッツ州テュークスベリー
の州立孤児院に引き取られ5年間暮らします、そこにたまたま孤児院を視察
に来た州の慈善事業委員長に、「学校に行きたい」と強く訴えたのが功を奏
し、14歳でパーキンス盲学校に受け入れられます。そこで目の手術を受け、
かなり視力を取り戻し、1886年に首席で卒業するほどになりました。
アンの素晴らしい能力にケラー夫妻はアンを雇うことにします。

 家庭教師アン・サリバンによるヘレンの教育は、ヘレンの才能を開花させ
ます。手に水をそそぎ「ウオーター」と教える場面は映画の中にも取り上げ
られるエピソードとしてご存知の方も多いと思います。その後ヘレンは米国
の女子教育の名門であるラドクリフ大学に入学します。ヘレンは、ラドクリ
フ大学を卒業後ほどなくして障害者の救済に動き出します。そして昭和39
年には、ジョンソン大統領から、米国で最大の名誉である「自由勲章」を授
与されました。

ヘレン・ケラーさんは、日本には昭和12年、23年、30年の3回来訪し
ています。とくに昭和30年の際は日本国民の熱狂的歓迎を受け、全国各地
で講演して回り、これが2年後、身体障害者福祉法制定として実りました。 
                     
 日本の高次脳機能障害は、叫ばれ始めてまだ20年ぐらいでしょうか。当
初は主に支援の対象が働き盛りの当事者が中心でしたが、近年、子供の高次
脳機能障害の支援が叫ばれ、小児の高次脳機能障害にも力を入れることが、
脳外傷友の会全国大会で提案され、承認されています。子供はどんな障害で
あれ教育を受ける権利があり、その環境をより充実させていかなければなり
ませんね。

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   「素朴な疑問」

 平井堅氏の「瞳を閉じて」の歌ですが、瞳は閉じれるのか?なんてどうで
もいいんですけど、かなり前の歌ですがどうも気になって・・・まぶたはど
こにいったのか。哲学的な疑問で解明すれば大変なものですね。まあ、どう
でもいいんですけど。

本日もご覧になっていただきありがとうございました。