南房総高次脳機能障害家族と支援者の会 なんぼーこーじの毎月更新の会報です
安房の国から2018 南房会ストック12月号
南房総高次脳機能障害家族と支援者の会

**********************************

11月の定例会の内容
          今回の定例会は「うたごえ広場」でした。

今後の予定
          
・11月30日(金)・12月1日(土)・2日(日)
          ボッチャ全国大会 
          会場 福島市国体記念体育館

・12月 9日(日)公開講演会「当事者へは居場所を介護者へは支えを」
          講師 柴本 礼 氏
          パネルディスカッション
          会場 アミュゼ柏 
          主催 東葛菜の花
 
・12月15日(土)定例会・忘年会
          午前11時30分~定例会
          午後12時30分~忘年会 会費500円
          今年1年を語り合い来年を飛躍の年に!

************************************

   「向西坊 入定窟」(コウサイボウニュウジョウクボ)

  「時は元禄15年12月14日」と言えば、ご存知「忠臣蔵」ですが、吉良
邸に討ち入った赤穂浪士の方々の中に片岡源五右衛門高房という浪士がいまし
た。この源五右衛門、片岡家を百石で継ぎ十九歳の時には二百石、二十四歳で
三百石と出世街道をひた走り、義士中では大石内蔵助に次ぐ高禄者となり、浅
野内匠頭(あさのたくみのかみ)切腹の時、ただ一人面会した人と伝わってい
ます。その源五右衛門の下働きとして身の回りの世話をしていたのが「元助」
と言う方で、のちに向西坊と名を変えます。
 
 南房総市では以前から赤穂浪士ゆかりの霊者として、向西坊元助の供養祭が
営まれ、元助が生まれた群馬県安中市からも向西坊元助保存会の方々が参加し
ています。向西坊は片岡源五右衛門高房の死後に出家して諸国を行脚。晩年を
花園の地で過ごし、享保16年(1731)に黒滝近くの岩穴に入定して一生
を終えたと伝えられています。供養祭後に行われた交歓会では、講談協会の真
打一龍齋貞橘さんが赤穂義士外伝から「忠僕元助」を口演されました。

 
  講談『赤穂義士外伝~忠僕元助』あらすじ
 
 片岡源五右衛門には、元助という忠実な下僕がいる。元禄十五年十二月十三
日、いよいよ明日が討ち入りという日、源五右衛門は元助に暇を出す。褒美の
品と大金を差し出すが元助はこれを聞き入れない。源五右衛門は実はもう金が
無くなったとか、実は伊達家へ仕官することになったなどと偽りを言ってごま
かそうとするがすぐに見透かされてしまう。
 
 それでもどうしても暇を出すと言い張る源五右衛門。元助は私にしくじりが
多いからだ。死んで詫びると言い出す。それを止めようとする源五右衛門と押
し問答になる。そこへ通りかかったのが見廻り役の大高源吾と武林。留守中元
助が何かを盗もうとしたのだと早合点した武林は元助を殴り倒す。源五右衛門、
大高源吾、武林は三人で話し合い、これほど忠義な者であるなら打ち明けても
大丈夫だろうという結論になった。
 
 源五右衛門は元助に明日の討ち入りの件を打ち明ける。これほどの大事を自
分のような者に打ち明けてくれた事に感謝する元助。元助は水盃をして三人を
送り出す。部屋を掃き清め、宮八幡武神の額を揚げ、燈明をあげ、ご本懐を遂
げられますようにと祈る。
 
 翌朝、見事に吉良の首を討ち捕ったと知った元助、泉岳寺へと引き上げる義
士の隊列の中から源五右衛門を見つけ出す。浪士が切腹となると、元助は頭を
まるめ、生まれ故郷の安中で二十年の歳月をかけ四十七義士の石像を彫りあげ、
榛名山のふもとに祀る。その後、安房の国(南房総)で墓守となり余生を送る
ことになった。
                 一龍齋貞橘(いちりゅうさい ていきつ)
 

 花嫁街道ハイキングコースにある黒滝のそばに入定窟があります。ぜひこの時
期にハイキングがてら元助さんを偲んでみてはいかがでしょうか。
 
++++++++++++++++++++++++++++++++++++
 
   「うたごえ広場」実施報告
 
 11月17日(土)NPO法人スマイル安房主催、高次脳機能障害家族と支
援者の会後援で「うたごえ広場」を開催しました。当初冨浦のさざなみホール
を予定していましたが、8月初旬には11月の土・日がすべて埋まっていたの
で、急きょ沓見のNPOスマイル安房の作業場で開催することにしました。
 
 近年の天候不順はイベントに多大な影響があり、昨年も10月に大きな台風
が来て農作物に影響がでました。今までは10月は気候が安定するという予測
がありましたが,昨年の事を考え11月開催としました。しかし、他の皆さん
も同じ考えだったのか、いつもより他団体の取り組みも多かったようです。
 
 「うたごえ広場」は3年前のローズマリー公園で行っているので2回目にな
ります。今回も声楽家の遠藤ひさえさんをお招きして開催しました。遠藤さん
は安房南高校出身と言うこともあり、参加された方の中に同級生もいて、会話
に花が咲いていました。13時開場13時30分開演ですが、早くこられた方
もいたので、本番前に13時15分ぐらいから皆さんと歌い出していました。
今年は浜口庫之助さん生誕100年だそうで「花と小父さん」や「涙くんさよ
なら」など3曲ほど歌いました。
 
 さて本番です。まず楽しい会話とマジックを30分ほど楽しんでいただきま
した。このマジックを行った方、「はい、よーく見ていて下さいよー、はい!
あれ?おかしいな?」とか、「牛乳をコップに入れて、あーら不思議」と言い
ながらコップの底からカラフルな紙テープが沢山出てきます。皆さん拍手喝采
ですが、コップを逆さにするとコップの中にないはずの牛乳が出てきて「あれ
~!?」皆さん大笑いでした。
 
 歌は「埴生の宿」「みかんの花咲く丘」「大きなうた」など全25曲ほど、
遠藤さんのご指導で大きな声で歌いました。障害の当事者の方も前に出てマイ
クを通して歌っていました。終了後は「胸がスカッとしたよ」「日本にはいい
曲が沢山あって若い頃を思い出すねー」などの感想も聞くことができました。
 
 今回の参加者は40名、スタッフも入れると50名ほどでした。チラシを
500枚作って、和田・丸山・三芳等の各支所や公民館、セブンイレブン・フ
ァミリーマートなどに貼っていただきました。房日新聞にも掲載され、問い合
わせは5件ほどありました。今回歌が好きな方が1名スマイル安房に入ってく
れました。今後も地域の皆さんに喜んでいただける取り組みを行い、この輪を
広げて行きたいですね。
 
************************************

   「第20回日本ボッチャ選手権大会in福島」
 
 12月1・2日でボッチャ全国大会の視察研修に行ってきました。会場に着
いたのは南房総を出てから7時間後の午後2時でした。すでに予選も終盤で、
応援しようと千葉県チームを探しましたが、すでに敗退していました。ざんね
ーん!
 
 このボッチャ全国大会、日本を各ブロックに分け勝ち抜いた選手がこの福島
に集結、広い体育館を12に区分けし1対1で対戦します。体育館に入った瞬
間、多くの車椅子の選手や大会関係者などの熱気に驚きます。そして選手の応
援団でしょうか、同じカラーの服を着た人たちが「頑張れよー」と声をかけて
います。
 
 ボッチャは、重度脳性麻痺者もしくは同程度の四肢重度機能障害のために考
案されたパラリンピックの公式競技で、2020年東京オリンピック・パラリ
ンピックでも行われます。この全国大会に参加する皆さんもパラリンピック参
加を焦点にして熱の入った練習を行い、勝ち残った方々です。
 
 競技は、ジャックボール(目標球)の白いボールを投げ、赤・青のチームが
それぞれ6球ずつのカラーボールを投げる・転がす・蹴るなどして、白いボー
ルに近ずける競技です。障害により投げることができない選手は勾配具(ラン
プ)を使い、自分の意思を競技アシスタントに伝え転がし入れて参加します。
男女の区別はなくBC1~BC4(障害区分)のクラスに分け、個人戦と団体戦
(2対2、3対3のチーム戦)があります。
 
 今回の参加チームの顔ぶれは、各県のボッチャ協会・企業等のボッチャクラ
ブ・学生などですが、なかには葛飾区役所の名もあり、「え?南房総市からの
参加もできるんだー」と思いました。今後考えていただきたいものです。各ブ
ロックを勝ち抜いてきた70名ほどが障害区分別に戦います。1日目は予選リ
ーグ、2日目が決勝戦です。
 
 2日目朝9時30分、場内アナウンスで「準決勝戦を行います。選手入場!」
審判と同時に選手が次々に入場します。会場に大歓声と大拍手、大会関係者・
応援団・報道関係の皆さんすべてが立ち上がって声援を送り、会場が一体とな
ります。最後の選手が入場するまで拍手が続きます。選手が所定の位置につき
各審判も定位置に。会場が静まり時間が止まります。・・・「競技開始!」と
同時にすべてが戦闘モードに突入。
 
 1回戦勝利の雄たけびでしょうか、「ウォー!!」会場に響きわたり応援団
も大拍手! 競技開始前、場内アナウンスで「選手の集中のさまたげになりま
すので携帯電話はマナーモードに」と言っていたのが何だったのかよく分かり
ませんが、試合も2回戦・3回戦と進み最終エンドの4回戦で勝敗が決まりま
す。勝った選手は両手を上げて応援団にアピール、応援団もそれに応えます。
 
 今回の視察、時間の都合で決勝戦は見ることができなかったのは残念でした。
準決勝戦終了で帰路につきましたが、準決勝で勝ち残ったメンバーはわかって
いたで帰ってから確認しました。

 南房総地域で「ボッチャって知ってる?」と聞くと「聞いたことはある」と
言うでしょう。でも「どんな競技か知らない」という方がほとんどです。ぜひ
このボッチャを南房総で広めたいですね。
 
 ここで今回のスーパープレーを1つ、白い球をめがけて赤と青の球がダンゴ
状態です。最終の1投が白い球に当たりそのダンゴ状態から白い球が飛び出て
の勝利に、観客席から「すごーい!」の歓声と拍手でした。「これって障害者
スポーツなのに健常な我々でもとてもできない!」と思いました。選手の皆さ
ん大会関係の皆さん、感動をありがとうございました。来年また全国大会でお
会いしましょう。今度は決勝戦まで見させていただきますぞ~!!
 
「頑張れ日本のボッチャチーム!」
 
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

   「西郷隆盛」
 
 今年は明治から150年という節目ですから、何かと西郷さんが出てきます
が、この西郷さん、本名を「西郷隆永」というそうで、隆盛は父親の名前だそ
うです。若い頃から皆さん「吉之助さん」と呼んでいたので、いざ記録や辞令
を出す段階で「さて名前は?」…どこでどうなったのか「隆盛』になった。
 
 また写真嫌いも有名で、上野の西郷さんの銅像は、弟や親類の顔を合成して
作ったようで、除幕式の時に妻の糸子が「誰この人?」と言ったとか。皆さん
ご存知のエピソードが沢山ある不思議な方です。ですが150年経ってもいま
でも名前が出る方ですから、やはり凄い方なんでしょうね。
 
 「西郷隆盛って凄い人だね」「そだねー」
 「明治維新の立役者だね」「そだねー」
 「鹿児島の宝だよ」「そだねー」
 「おいおい歴史を少しは勉強しろ!」「そだねー」
 「ダメだこりゃー!」
 
 今年1年皆さんお疲れ様でした。家族と支援者の会、来年はもっと飛躍の年
にしましょう。良い年をお迎えください。
 
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

   「今月の貴方に贈る言葉」
      
   「我々は皆、この世でやるべき仕事がある。
          その仕事を見つけられるかどうかが
             生涯において最も重要なことである。」
 
                    ナザニエル・ホーソーン(作家)
 
  
 今月もご覧いただき ありがとうございました  
問い合わせ 南房会 ishiguro.hiroaki@beige.plala.or.jp