南房総高次脳機能障害家族と支援者の会 なんぼーこーじの毎月更新の会報です
安房の国から2022 南房会ストック10月号
南房総高次脳機能障害家族と支援者の会

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   「全国旅行支援」

 政府が実施する全国を対象とした観光需要喚起策として、当面10月11日(火)
~12月20日(火))までの期間で「全国旅行支援」を行うとの発表がありま
した。対象都道府県や割引適用ルールなどは各都道府県より公式発表されます。
新型コロナで沈み切った日本の活性化の起爆剤として、このプロジェクトは成
功していただきたいと思います。

 そこで、NPO法人「スマイル安房」では、この機会に南房総観光立国を全
国に広めるために、「全国旅行支援、勝手に協賛して委員会」を立ち上げまし
た。南房総国定公園としてただ旅行するだけではもったいない、その地の歴史
も学び、貴方の今後の人生が大きく変わる思い出に残る旅にしていたければと
思います。

「忠臣蔵外伝 向西坊入定窟と花嫁街道ハイキングコース、浅野家再興の地?」

「時は元禄15年12月14日」と言えばご存知「忠臣蔵」ですが、吉良邸
に討ち入った赤穂浪士の方々の中に、片岡源五右衛門高房という浪士がいまし
た。この源五右衛門、片岡家を百石で継ぎ、十九歳の時には二百石、二十四歳
で三百石と出世街道をひた走り、義士中では大石内蔵助に次ぐ高禄者となり、
浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)切腹の時、ただ一人面会した人と伝わって
います。その源五右衛門の下働きとして身の回りの世話をしていたのが「元助」
(もとすけ)と言う方で、のちに向西坊と名を変えます。

 元助の故郷は群馬県安中市で、農家の長男として生まれ、わずかな金銭を持
っお伊勢参りに旅立ちます。当時のお伊勢参りは、背中の荷物に柄杓(ひしゃ
く)をさして歩けば「あ!お伊勢参りの人だ」と分かる。道すがら同じ人もい
るものですから、旅は道ずれで助けてもくれますわな。ところが帰り道ともな
るとそうはいかない、すでに持ち金も使い果たし、服はボロボロ腹は減る、物
乞いをするが周りにも同じような物乞いがいて、物乞い同士の争いで殴られ蹴
られ。そこへ通りかかったのが 浅野家家臣の片岡源五右衛門さんです。これが
縁で、元助さんは源五右衛門さんの下働きとして奉公に励みます。

 ところが数年後、あの江戸城松の廊下での刃傷事件が起こります。赤穂に事
件が知らされた時はすでに浅野内匠頭は切腹。浅野家は断絶と決まり、家臣は
浪人となりました。赤穂藩城代家老の大石内蔵助は、幕府に浅野大学を以って
浅野家再興を再三お願いするも幕府は認めません。結果、大石は吉良邸討ち入
りを決断。その討ち入り前夜…。

 元禄十五年十二月十三日、源五右衛門は元助に暇を出そうと、褒美の品と大
金を差し出すが元助はこれを聞き入れない。源五右衛門は、実はもう金が無く
なった、実は伊達家へ仕官することになった、などと偽りを言ってごまかそう
とするがすぐに見透かされてしまう。
 
 それでもどうしても暇を出すと言い張る源五右衛門。元助は私にしくじりが
多いからだ、死んで詫びると言い出す。それを止めようとする源五右衛門と押
し問答になる。そこへ通りかかったのが見廻り役の大高源吾と武林。留守中元
助が何かを盗もうとしたのだと早合点した武林は元助を殴り倒す。源五右衛門
は慌てて「そうじゃない!」と逆に武林を止め訳を話します。大高源吾、武林、
源五右衛門は三人で話し合い、これほど忠義な者であるなら打ち明けても大丈
夫だろうという結論になった。

 源五右衛門は元助に明日の討ち入りの件を打ち明ける。これほどの大事を自
分のような者に打ち明けてくれた事に感謝する元助。元助は水盃をして三人を
送り出す。部屋を掃き清め、宮八幡武神の額を揚げ、燈明をあげ、ご本懐を遂
げられますようにと祈る。
 
 翌朝、夜通し祈り続けた元助の耳に「赤穂のお侍が吉良の首を討ち捕った!」
との大声。慌てて外に出ると赤穂浪士を一目見ようと多くの人が集まっていた。
元助は人混みから遠くに雪を踏みしめ歩いてくる赤穂の方々を見て、「きっと
いる必ずいる」と無事を祈り、泉岳寺へと引き上げる義士の隊列の中から源五
右衛門を見つけ出す。源五右衛門も元助を見るとうなずきながらかすかに目に
涙が出ていた。元助も溢れる涙を抑えきれず手を合わせてうずくまっていた。
その後、浪士が切腹となると元助は頭をまるめ、生まれ故郷の安中で二十年の
歳月をかけ四十七義士の石像を彫りあげ、榛名山のふもとに祀り旅に出ます。

 宝永6年(1709年)8月20日、将軍綱吉死去に伴う大赦で浅野家は許
され、宝永7年(1710年)9月16日には新将軍徳川家宣に拝謁し、改め
て安房の国朝夷郡江見村に500石の所領を与えられ、旗本に復帰します。
大石内蔵助が浅野家再興を願うために藩主に選んだのが浅野長広(あさのなが
ひろ)、一般に浅野大学(あさのだいがく)として知られた浅野内匠頭の弟で
す。内匠頭が江戸城で刃傷という事件後、広島浅野宗家にお預けとされていま
した。

 この500石は正木村から400石、江見村から100石。またこれとは別
に浅野宗家からも300石を支給され、浅野家は幕府直轄地である江見村(東
江見)に旗本ながら御家再興を果たしました。元助は仏門に入り向西坊と名を
変え、諸国の旅で浅野家再興の話を聞き、房州は安房の国に着きますが、すで
に天命を悟り片岡源五右衛門が仕えた浅野家のそばで享保16年(1731)
黒滝近くの岩穴に入定して一生を終えました。

 享保9年(1724年)浅野長広は嫡男の長純に家督を譲って隠居し、享保
19年(1734年)6月20日に65歳でこの世を去ります。墓は兄や赤穂
義士と同じ高輪泉岳寺に葬られ、赤穂事件は終焉をむかえました。

 現在、江見町は鴨川市、和田町は南房総市ですが、当時の安房国朝夷郡江見
村(東江見)と、黒滝のある安房国朝夷郡花園村(現和田町)は隣でした。
今は浅野家再興の地として残されているものはありませんが、資料や向西坊伝
説により、東江見に浅野家武家屋敷あったと思われます。入定窟は花嫁街道ハ
イキングコースにある黒滝のそばにありました。今からおよそ300年前の出
来事でした。

 ぜひこの時期にハイキングがてら向西坊さんを偲んでみてはいかがでしょう。
3年前の台風15号の影響で荒れたコースも、地元の有志の皆さんの補修によ
りなんとか通行できるようになり、現在、入定窟や黒滝には行けます。

 「勝手に協賛して委員会」は、今回の全国旅行支援プロジェクト観光立国南
房総の提案で、「なんぼーこーじ」のホームページをお借りしましたこと、お
礼申しあげます。

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   「南房総市和田町」

  和田町と言えば日本でも数少ない鯨が水揚げされる漁港です。防災無線で
もたまに鯨水揚げ情報が放送されます。安く販売されることもありますが、国
道のそばに「道の駅WAO!」があり、そこで販売しています。有名な「くじら
のタレ」はこの地域の名産品です。一度食べてみてください。ここでしかあり
ませんので食べる価値あり!です。釣りも人気で、鴨川の釣り船で釣りに…と
思ったら、釣り場は和田の私の家のそばでした。「なんだ、わざわざ船に乗っ
て自分の家の前で釣ってるよー」とは。ところが今の和田の浜辺は、サーファ
ーが釣れるかも。キャハハ!

南房総市のお昼の防災無線、流れる曲は
作詞:鹿島鳴秋、作曲:弘田龍太郎の「浜千鳥」です。

青い月夜の 浜辺には
親を探して 鳴く鳥が
波の国から 生まれでる
濡れたつばさの 銀の色

夜鳴く鳥の 悲しさは
親を尋ねて 海こえて
月夜の国へ 消えてゆく
銀のつばさの 浜千鳥
 
 和田町には浜千鳥の歌碑があります。南房総市は北朝鮮に拉致された家族を
応援しています。お昼の防災無線を聞いたら拉致家族の皆さんを思い出してく
ださいね。

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   再送「ふりかえって 高次脳機能障害」 

記憶に残らないということ  Yさん 68歳 女性

「なにを食べたか覚えてないよ〜」これは記憶障害。
「食事?ぜんぜん食べてないよ〜」これは認知症。

突然ウイルスが頭に入って居座り脳炎に。
なかなか脳圧が下がらず2ヶ月入院。
記憶する部位「海馬」が損傷したらしい。
主な症状は、いわゆる高次脳機能障害の「記憶障害」。
ほかにもあれこれ残念な支障が生じたが
とりあえず最低限の日常生活は維持できそうだし
仕方ないよねぇ…、とあきらめて21年。

記憶が残らないってどういうことなのか
健常者にはなかなか理解できない。
「メモしておけば?」「写真にのこしておけば?」
「忘れちゃうのはみんな一緒だよー」
こんな励ましはつね日頃。最初は私もそう思った。
でもメモしたことを忘れ、記憶にない写真がたまるだけで
なんの役にも立たないんだよね。

さっきまで楽しかったことが頭から消えてしまう。
親が亡くなった悲しい涙もス〜っと消えてしまう。
今のいままで話してたことが跡形もなく…である。
想像できない深刻な世界に生きてるんだねぇ、うちの妻は。

「思考や体験の蓄積」がないってことは不自由すぎるよ。
チャレンジしてみたことも、見て聞いて感動したことも
さっき会った人のことも、ふわ〜っと消えちゃう。
いつも「最初からやり直し」の繰り返し。めげるねー。
夫は後ろから「さっき言ったじゃない〜…」とか
ノー天気なプレッシャーかけてるし。イライラ。

それでも負けず嫌いな性格が功を奏して
前向きなんだよねーうちの妻は。
あと10年くらいこの調子でいければ
あまり迷惑をかけずに終われる気がするんだけどなぁ…。
ま、なるようにしかならない…か。

あっ、喜ばしいことに孫の名前はすぐ覚えた。
…なんで??(^-^)

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 「私、高次脳機能障害になっちゃいました」と言っていた円楽さん、脳梗塞か
ら見事に復帰して、私達家族会でも皆さん喜んでいましたが、先日、肺がんで他
界されました。これからまた元気な姿を見ることができると思っていたのに、本
当に残念です。心よりご冥福お祈り申し上げます。

     
今月もご覧いただき ありがとうございました  
問い合わせ 南房会 ishiguro.hiroaki@beige.plala.or.jp