南房総高次脳機能障害家族と支援者の会 なんぼーこーじの毎月更新の会報です
安房の国から2022 南房会ストック11月号
南房総高次脳機能障害家族と支援者の会

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 今後の予定

・11月19日(土)午後1時30分~ 家族会定例会 沓見楽市座 

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   「南房総国定公園と高次脳家族会」

 国定公園(こくていこうえん)とは、日本において国立公園に準じる景勝
地として自然公園法に基づいて環境大臣が指定した公園です。国立公園が国
の直接管理なのに対し、国定公園は都道府県が管理するもので、現在は全国
で58ヶ所の国定公園が存在しています。千葉県では、水郷筑波国定公園と
1958年(昭和33年)8月1日に指定された南房総国定公園の2ヶ所で
す。

 この南房総国定公園は、大半を海岸部が占めますが、飛び地的に内陸部に
も指定地があるのが特徴で。海岸部は内房の富津岬から外房の太東崎までの
海岸線が指定され、勝浦は海域公園(旧:海中公園)が指定されています。
一帯には砂浜が多く、首都圏にも近いことから、海水浴場や別荘地、マリン
リゾートとしての発達を見せています。また、内陸部では鹿野山と清澄山が
指定されています。「上総(かずさ)地域」では、富津市・君津市・いすみ
市・御宿町・勝浦市、「安房地域」では、南房総市・館山市・鴨川市・安房
郡鋸南町です。

 さて、そこで活動しているのが南房総高次脳機能障害家族と支援者の会で
す。結成当初は「南房総高次脳機能障害家族会」でしたが、活動を進めて行
く中で支援してくれる方や団体の参加もあり、「南房総高次脳機能障害家族
と支援者の会」として名称を改め、旧丸山町にある沓見を拠点に定例会を行
ってきました。ところが、沓見の施設は冷暖房が完備されていませんので2
月は寒く9月は暑いので亀田リハビリ病院の1室をお借りして定例会を行っ
てきました。

 回数を重ねるうちに、亀田リハビリ病院の皆さんのご厚意もあり、新たに
高次脳になった方も参加して定例会を行ってきました。おかげで富津やいす
みのみなさんも会員として参加していただいていますが、沓見では遠方にな
るので、新たに6月も亀田リハビリ病院で出来ないかとの意見もあり、今後
4月の総会で検討して行きたいと考えています。ぜひ多くの方も参加しやす
い定例会になるといいですよね。

 ところで名称ですが、南房総国定公園高次脳機能障害家族と支援者の会は
いかがですか?「え?長すぎる~~~~!」「今のままでいいですよ」。だ
って印鑑だのノボリだの作ってありますから、んなわけで現状維持ですね。

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 「全国旅行支援 勝手に協賛して委員会」南房総見どころ満載!

   「陸蒸気(おかじょうき)は通さない!」

 今回の「全国旅行支援 勝手に協賛して委員会」では、鉄道開業150年
を記念して南房総地域の鉄道のお話です。現在の鉄道は、JR線・地下鉄線・
新幹線などをはじめ、クルーズトレイン「ななつ星in九州」など、超人気の
高級列車も数多く、どれも乗ってみたいと思います。南房総でも以前内房線
にD51が走りましたが、沿線には多くの人が手を振っていて大人気でした。

 ところが、開業当初の鉄道と言えばそうではなかったようです。1872
(明治5)年10月14日に初めて新橋・横浜間に開業しますが、その前に
鉄道を走らせるためのルートや工事が難題でした。その頃は交通と言えば歩
きか馬車で、住民も突然の陸蒸気と言われても「なんじゃそりゃー!」でし
ょうね。新橋・横浜間にルートを決めたとは言っても、用地買収などの莫大
な建設予算の前に反対する人も多かったようです。

 そこで、鉄道用地の取得が困難な地域を避けて鉄道を通すため海上ルート
や平坦地を選び、東海道沿いにあった旧薩摩藩邸や軍用地を利用することで
なんとか新橋・横浜間に鉄道を開業することができました。最近港区で発見
された「高輪築堤(たかなわちくてい)」は、海上ルートの跡として鉄道の
石垣も見つかりましたね。

 南房総の現在の内房線ですが、1919年(大正8年)に東京から安房北
条駅(現在の館山駅)まで達したところで北条線(ほうじょうせん)と言わ
れ、大正14年に安房鴨川駅に達して、現在の内房線の区間が全線開通しま
した。その後昭和14年に、館山北条町と那古町および船形町が合併して館
山市が誕生した後、昭和21年3月に館山駅になりました。鋸南町の保田駅
ー館山駅ー千倉駅ー安房鴨川駅が主な駅ですが、本来あってもよさそうなは
ずの駅がありませんね。「う~~んとねー??、あ!白浜だ!」館山から安
房鴨川まで行きますが白浜は通っていません。

 なぜ白浜には通らなかったのか?ですが、じつは当初の予定では、白浜は
ルートに入っていたようです。当然駅も布良・平砂浦・白間津などはルート
に入っていたと推測されますね。ところが白浜の住民から「陸蒸気(おかじ
ょうき)は通さない!」との声があり、ルート変更で九重・千倉になりまし
た。この反対の声は白浜だけではありません。関東周辺でも多く、特に街道
沿いの宿場町では「そんなの通したらみんな素通りで客は来なくなる」と猛
反対。

 政府も、海のものとも山のものともわからない陸蒸気を無理に通すことを
せず、「反対であればルートの変更」と、さほど大騒ぎになることもありま
せんでした。鉄道建設も順調に進み、大正10年6月1日、館山駅 から南三
原(なみはら)駅間が延伸開業。これに喜んだ方がいました。南房総でお花
の栽培をしていた間宮七郎平さんで、「金にもならねえ、食えもしねえ花な
んぞ作って」と家族や近所の方に言われてましたが、鉄道が館山から南三原
駅まで開業したら都会に花を売り込み、南房総の花として大人気となり見事
に金になり食べていけるルートを確立。後に、春の時期には都会からお花を
見に多くの観光客がやってきました。

 昭和5年8月1日、千倉から南三原までの間に、住民から駅を作ってほし
いとの要望もあり、千歳仮停車場が千歳駅として開業します。そして現在の
内房線になりました。わずか開業150年の間に、陸蒸気がリニアの時代に
なるとは誰が予想したでしょうか。驚きますね。白浜は現在JR高速バスの始
発駅になって東京まで行っています。急激な地域の変化を望まないのは当時
はどこも同じだったんでしょう。

 高校を卒業したら都心の大学へ。多くの学生が鉄道を使って都会に旅立っ
て行きました。そして就職・結婚・子育てとなれば、帰ってくるのは盆と正
月。そんなこんなで気がつけば10年・20年、そろそろ田舎が恋しくなり
ませんか?「いつでも帰ってきていいんだよ」とは親父やお袋の本音です。
そんな親も年を取りまして孫の顔が見たいと思うのも当然です。盆や正月だ
けではなく時間があればゆっくり鉄道で故郷に帰ってはいかがですか。親も
顔をみせてやればまた元気になります。

   「菱川師宣(ひしかわ もろのぶ) 見返り美人図国宝に」

 鉄道が150年であれば東京国立博物館も創立150年です。「1872
年(明治5年)文化財を収集・調査しそして修復する。その成果を展示を通
して教育に活かし、みなさんに触れていただくことで、文化の保護と継承を
続けていくことを目的に、東京国立博物館は開館されました。150年にわ
たり受け継いできた収蔵品は現在約12万件。このうち国宝89件、648
件の重要文化財と、質・量ともに日本を代表するコレクションです。おもに
これら収蔵品や寄託品で構成される「総合文化展」では、常時3,000件
を展示しています。この「総合文化展」は、ほぼ毎週どこかの展示室で展示
替えが行われ、その数は年間約300回。「何度来ても新しい発見がある博
物館です」と係りの方は言っています。

 では東京国立博物館が出来る前はと言えば、明治新政府による廃仏毀釈
(はいぶつきしゃく)政策により、文化財が安値で民間に流出したり破壊さ
れるなど、当時の新政府の政策が貴重な宝を海外に流失させてしまいました。
ですが、この流出を機会に日本から渡った文化財が高く評価され、世界を代
表する多くの画家に多大な影響を与え、ゴッホやモネ・ルノワールなども影
響を受けたと言われています。あのマリー・アントワネットも日本の素晴ら
しいコレクションを多数所有していたそうです。

 日本の文化財が世界で高く評価されたことで、国内では国宝や重要文化財
など貴重な財産の保護の機運が高まり、東京国立博物館が作られたというこ
とでしょうね。「散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする」なんて歌が
歌われたそうですが、この時期、鉄道や東京国立博物館、道路にはガス灯な
ど西洋に追いつけ追い越せと、時代が大きく変わる時だったんでしょうね。

 ところで、東京国立博物館に現在収蔵されている菱川師宣の「見返り美人
図」は、国宝ではありません。浮世絵で国宝に指定されているものはないそ
うです。国宝の基準はわかりませんが、100年以上も前に印象派のモネや
ルノワールに影響を与えた菱川師宣さん、江戸庶民の日常を絵で表現し、皆
さんに安く手が届くまでにした貢献度は計り知れません。また、見返り美人
図では近年の研究では、黄色に見える塗料は金や銀が使用されいるようで、
研究者も驚くほどの技術の高さだそうです。

 西洋では、絵画は人物が多く評価も高い、宮殿のお抱え絵師などが幅をき
かせていたのでしょうね、印象派と言われる方も当初は評価が低かった、と
ころが近年ではむしろ美術館に見に来る観客は、印象派の絵画が圧倒的に人
気です。浮世の絵ですから当初から評価は低かったかもしれませんが、時代
は変わっています。遅まきながら菱川師宣の時代が来たように思いますね。
菱川師宣「見返り美人図」、国宝も近い!ですね。南房総の宝ですよ。

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再送「高次脳機能障害会員の手記」  

   「~ふりかえって~」 Y・I 男性

 2018年2月末、仕事中に脳内出血をおこしました。本人は自分に何が
起きたかはわからないまま体調が悪いからと職場の仲間に送ってもらい帰宅
しました。帰宅時には自力で歩くことも出来なくなり、救急診療を受診しま
した。その後、入院・リハビリと約半年に渡り治療し、ある程度は自分でで
きるようになりましたが、リハビリ病院で高次脳機能障害と言われました。

 「半側空間無視」と言う事で左側が認識しにくかったり、物の構造がわか
らなくなったりです。その後、左側の認識は大分出来るようになりましたが、
衣服の着替えや曜日・日にちの認識が薄れ、予定日が解らなくまた怒りっぽ
くなりました。怒り易くなるのも症状の一つです。外から見れば多少おぼつ
かない歩行しか感じられませんが、本人からすれば困難なことが多くあった
のでしょう。冷静になった今だからこそ言えます。当時は、ほぼ治ったのに
なぜ?と言う事の方が多かったように思います。

 2020年の夏には、リウマチも発症し動くことがだんだん出来なくなっ
ています。同じ脳出血でも社会復帰していたり、日常生活を取り戻している
方も大勢います。出血がどこで起きたのか、ほんの少しずれていたら違った
結果があったのではと思わずにはいられませんが、何よりも本人が一番大変
なんだと思いなおし、補助しながら出来ることは頑張ってもらいながら、楽
しいことが少しでもあるような毎日を送って行ければと思っています。

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 菱川 師宣さん、1618年頃~1630年頃の生まれだそうで、はっきり
はわかりませんが、1694年7月25日没、安房国保田(現鋸南町)育ち
です。1600年と言えば、関ヶ原の戦いがありましたので、徳川の時代に
なる転換点ですね。見返り美人図は師宣人生後半に描かれた絵で、師宣が浮
世絵の祖と言われるぐらい人気になります。

 町では、呼ばれてもいないのに振り向く女性が多かったそうですが。若い
方は知らないでしょうが、以前にCMで「♪~振り向かないで東京の女(ひ
と)」なんていうのがありました。これが猫に移ったのか、脅かすとパッと
逃げて先で立ち止まって振り向きます。「見返り猫」と言うそうですが、貴
方の家の猫はいかがですか?ひょっとすると南房総ゆずりの猫かも、嘘か誠
かわかりませんが。キャハハ!

 秋と言えば紅葉ですね。鉄道の旅もいいですが、芸術の秋とも言われます
東京国立博物館もいいですよね。何かといい話題もありませんので、この時
期にどこかに出かけてみてはいかがですか、気分もかわりますね。

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「今月の貴方に贈る言葉」

  「汚い爆弾ですか?綺麗な爆弾ってあるのでしょうか」

                 プーチン(ロシアの大統領)さんへ

今月もご覧いただき ありがとうございました  
問い合わせ 南房会 ishiguro.hiroaki@beige.plala.or.jp